知ったかぶり食通講座

知っていてもたいして役にはたたないが、知っていると
益々寿司の世界が面白くなる雑学をどうぞ

その1 あがりの話
       すし屋では、お茶のことをあがりといいますが、昔の花柳界では、お客のつかない
      者に茶臼でお茶の葉を挽かせていたことから、お客の来ないのを「お茶を挽く」とい 
      い、特に水商売では「お茶」は縁起が悪い言葉だとされています。そこで、お店で最 
      初にだすお茶を「おで花」、最後に出すお茶を「上がり花」と呼んでいました。現在で 
      はあがりだけが言葉として残ったのです。ちなみに、すし屋の湯飲みが大きい訳は、
      すし屋はもともと屋台で営業していたものですから、使える水の量が限られていて、
      一人一杯しか出すことができませんでした。それで、食べ終わるまでお茶が冷めな 
      いように大きく厚手の茶碗が使われるようになった訳です。昔は、おしぼりや箸など
      も用意されていない処がほとんどで、食通ぶったお客が、帰りぎわに残ったお茶で指
      先を洗い、のれんで指をぬぐって帰ったので、繁盛している店ののれんほど汚れて 
      いたという話です。
  お茶の成分にはカフェインカテキン、ビタミンC,フラボノイドなどが含まれていて
      健康にも良いし、消臭成分が魚介類の生臭さを抑える役割をしています。寿司には
      最高に良く合う飲み物だといえます。
  最近では、鯛の養殖場で餌にお茶の葉を混ぜ与える養殖法が行われていて、そ 
      の鯛をお茶葉鯛(おちゃっぱだい)と称し市場でも人気になっています。


その2 かんぴょうの話
       のりまきのもっともポピュラーなものの一つにかんぴょう巻きがありますが、中身の
      かんぴょうについてお話します。
       生産量が日本一なのは、ここ栃木県です。特に壬生町は年間約300トンを生産し
      ています。
       かんぴょうの原材料は夕顔の実ですが、もともとは、関西地方の特産品でした。江
      戸時代の中期に江州・水口(現 滋賀県水口町)の城主 鳥居伊賀守忠英が 国替
      えで壬生に着任し、前の領地から夕顔の種を取り寄せ栽培させたのが関東での生 
      産の始まりだと言われています。その後気候風土が生産に適したのか、明治時代に
      は関東が関西を圧倒し、栃木県がかんぴょうのメッカになったというわけです。
       昔、かんぴょうを作るのは夕顔の実の種を取り除き実の内側から小さいカンナの 
      様な道具で剥いていったらしいですが、今は機械でリンゴを剥くように外から剥いて 
      います。細いひものようになったかんぴょうを天日で乾燥し、虫がつかないように硫 
      黄の煙で燻えんしたものが現在市販されているかんぴょうです。
       かんぴょうを料理する際はした準備が必要です。かんぴょうを水につけて洗い、煙
      成分を良く取り除き、塩を振りかけて柔らかくなるまでよく揉みます。つぎに下茹でし
      て指でちぎれる位になったら水気をきっておきます。好みの味付けをして、海苔巻き
      の具や味噌汁の具、卵とじ、てんぷらの材料にと用途はいろいろです。
        わさびを利かせたかんぴょう巻きは酒のつまみにも良く合います。

      知ったかぶり食通講座2へつづく
       
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